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ウェンデル・マーフィーは豚の飼料を売ってわずかなもうけを得はじめた。

そしてついには、業界を根底から変えてしまった。

 

豚舎を変えた男

ノースカロライナ州ワルシャワ、とある大農場の新生児室では、青のツナギに身を包んだ技術者が生まれたばかりの子豚にガース・ブルックスのカントリーミュージックを聞かせている。人の声になじませて子豚を落ち着かせる。これが子豚の健康には欠かせないのだ。この世で最も現実的なビジネス、養豚においてウェンデル・マーフィーを億万長者足らしめたトリックのほんのひとつである。

マーフィー・ファミリー・ファームが疑うべくもないアメリカ最大の養豚業者であることは、業界誌の読者でもなければ知るよしもないであろう。2番手であるキャロル・フーズの2倍にも及ぶ27万5,000頭の雌豚所有に加え、誕生から精肉までの各段階にある600万頭の雄豚を抱える。

私有会社であるために具体的な業績は公開されないが、解体時での雄豚一頭あたりの価格が公表されており、ここ3年の間に50%ほども値上がりをして現在それは135ドルに及ぶ。フォーブス誌は、同社が今年7億7,500万ドルの所得に対して1億5,000万ドルもの税引き前利益をあげるとみている。マーフィーは同社の3分の2株を所有するが、それは公開すれば10億ドルにもなると予測される(彼の弟と妹、そして息子のデルが残りの3分の1を所有している)。

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検疫のための操業停止をきっかけに、マーフィーはたばこ農場で豚を飼い始めた。そしてそれは今や、全米中に展開されている。

 

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いったいどのようにして、養豚でばく大な富を築くことができるのであろうか?レイ・クロックがマクドナルドで大成功を収めることができた理由は、資本の少なさ・作業の非効率性・分断化された業務、の全てを体系的に改善したことにあったが、さらにもうひとつマクドナルドの手法に習い、マーフィーは自分自身の資本を用いるということをほとんどしなかった。レイ・クロックは店舗開店の際にそのフランチャイズ加盟者の資本を用いたのだが、マーフィーもまたその契約農家をして豚を肥育するための資本を投下させたのである。

現在59歳になる彼は1960年ノースカロライナ州立大で農学を修めたのち、故郷の同州ローズヒル(人口13,098人)に程近い高校で年収4,080ドルの農業教職に就いた。彼の妻も会社員として働いていた。1962年ふたりは3,000ドルを捻出し、とうもろこしをひいて飼料にする製粉機の購入費用の1部に充てた。たばこ農家を営み負債には慎重であった彼の父は、マーフィーがそれまでの仕事も続けるという条件で、しぶしぶと残り1万ドルの借入れ保証人になった。「父さんには何ヶ月せがんだことか。」そうマーフィーは言う。

更にマーフィーは売れ残り飼料の自社処理用に豚を数頭飼うようになったが、力は豚のほうに移り、とうとう1968年には飼料販売をやめてしまった。

マーフィーは何世紀にもわたってそうされてきたように、溝にたくさんのとうもろこし飼料をまいて雄豚を飼育したが、1969年にコレラが農場を襲った。農務省は彼の豚3,000頭を処分させ、検疫のために操業停止を命じた。災難はしばしば事業や経歴を挫折させる。それを克服するには、卓越した戦略性と乏しい資源を最大限活用する力量が必要である。このコレラ被害があってこそ、マーフィーは養豚に契約農制を持ち込むことができたのである。契約農はそれまでは専ら養鶏でのみ行われていた。

早期の建て直しを決意したものの資金繰りに困った彼は、近隣のたばこ農家に自分の代わりに豚を飼育してくれないかと持ちかけた。柵と飼料と子豚を提供し、労働力と場所は彼らから得ようというわけであった。生後8週間で持ち込まれた子豚が15週間を経て解体に適するようになった時点でマーフィーのもとに返還され、その1頭ごとに契約者に1ドルを支払うというものだった。畜産における確実な収入の流れというのは稀であるので、マーフィーは多くの契約者を集めた。

 

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「豚舎から出るときはもちろんだと思いますが、入るときもシャワーを浴びて下さいね」

1970年代から80年代にかけて、マーフィーはノースカロライナ州全域に事業を拡大した。事業規模の拡張にともなって、更なる効率化をはかるために農業の専門家たちを雇い始めた。マーフィーにとってもやはり、必要こそが発明の母だったわけである。養豚におけるコストのおよそ65%は飼料費であり、そのためとうもろこしやその他の穀物を安く入手できる中西部の業者たちが養豚を支配していたが、最新の科学技術による雌豚の出産増とコスト削減こそが唯一の対抗の道であることをマーフィーは知っていたのである。

当時はひとつの農場で2,000から3,000頭の豚を飼い、解体まですべてそこで肥育するというのが一般的であったが、マーフィーの専門家たちののアプローチは異なった。彼らは肥育段階を三つに分け、マーフィーが直接経験したところでもあった養豚業者にとっての最大のリスク、病気感染を減少させたのである。

なぜ段階なのか?生後2週間は、子豚は母豚からウィルス抗体をもらう。そしてそれが終わると次に、母豚は子豚にウィルスまでをもを渡し始めるのである。そのため生後15日に達すると子豚は全て集められて、白く塗りかえられ衛生処理されたスクールバスで次の契約農場へと移送される。体重50ポンドに達するまでそこで飼育され、それにはおよそ50日が費やされる。

肥育された雄豚もまた次々とやってくる子豚にウィルスを渡してしまうために、10週間で最終農場に移送される。そこで残り11週余りをかけて、解体業者に送られる体重250ポンドに達する。

最少の飼料で最多の豚を得るためには雌豚の繁殖力と子豚の生後すぐの期間が非常に重要であるために、雌豚の農場には厳しい管理体制を敷いている。彼は現在125を所有しているが、それはまるで行き届いた病院のようである。ウィルスの空気感染を防ぐために、マーフィーは契約農家に対して雌豚の農場から半径1キロ以内での雄豚の飼育を禁じているほどだ。

マーフィーの雌豚舎を訪れるのは、まるで手術室に足を踏み入れるかのようである。訪問者は衣服を脱ぎ、シャワーを浴びて、指定の下着とツナギ、ゴム長を着用することが義務づけられている。(「豚舎から出るときはもちろんだと思いますが、入るときもシャワーを浴びて下さいね」と専門家が告げてくる。)

3,600頭の雌豚がそれぞれ絶え間なく種付けをされ、懐妊し、出産する。においよりも騒音のほうがひどい。作業者は途切れることのない金切り声を遮るため耳栓を着けている。少しはましな場所はどこかといえば、耳の肥えた子豚たちのためにガース・ブルックスが24時間歌を歌い続ける育児室であろうか。

人工受精は雌豚の約30%に対して毎回施されている。残りの雌豚には、2回の人口繁殖につき1回の自然繁殖が行われる。雌豚がいつ発情しているのかを見極めるのは困難なため、雌豚二頭につき1頭の雄豚を背後に配置して、それをかぎ分けさせている。

こうした予防手段と革新技術によって産出は増加を遂げている。マーフィーは雌豚1頭あたり1年間でおよそ22頭の子豚を得ているが、一般的な養豚業者は15頭に満たない。雄豚を1ポンド肥育するために他の業者は4ポンドの飼料を必要とするが、マーフィーの場合は3ポンドで済む。

マーフィーの厳しい管理は契約農家にまで及ぶのであるが、かといってパートナー探しの苦労は全くといってない。ノースカロライナ州ワルシャワのたばこ農家オリバー・アウトロウは4年前に、7週間の肥育段階を受け持つ契約農家となった。その準備として彼は新しい農場への道を整え、排泄溝を掘り、マーフィーの指定の豚舎をふたつ建てなければならなかった。

 

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アウトロウ氏の投資は32万5,000ドルにも及んだが、彼は1頭あたり3ドルの契約で1年の間に36,500頭を飼育することになっていた。飼料と獣医学上のケアはすべてマーフィーが提供し、年間10万9,500ドルの収入はほとんどすべてが利益となった(アウトロウ氏側の人件費は除く)。

現在、マーフィー・ファミリー・ファームはノースカロライナ、ミズーリ、アイオワ、オクラホマ、カンザス、イリノイの各州に500ものそのような契約農家を持っている。彼らは受け持つ豚の肥育段階や農場の立地によって1頭あたり3ドルから15ドルを受け取り、業績に応じてボーナスも支払われる。マーフィーはどのタイミングで何を飼料として与えればよいかなどを事細かに彼らに伝え、スミスフィールド・フーズのような大きな解体業者(マーフィーが2.7%株、3000万ドル相当を所有している)から応分の高値をつけられるような規格にみあう豚を量産している。

マーフィーはローズヒルの飾りけないランチスタイルのオフィスから、この帝国の指揮をとっている。すべてのドアにはブーツの泥落としが置かれている。白髪で日に焼けたマーフィーが金のロレックスと豚柄のネクタイをちらつかせながら会議用円卓の後ろに静かに腰を下ろし、話の多くを代理人に任せる。

控えめだが実にしたたかな手法で、ウェンデル・マーフィーはたったひとりで中西部の養豚をも凌ぐ勢いをつけつつある。1989年から1994年にかけて、1農場あたりの豚の頭数は、全国平均の60%増に対してノースカロライナ州では5倍に膨れあがった。1989年は豚肉の全国シェアの5.4%を生産したのであるが、現在は11%であり、アイオワに次いで2位となった。

マーフィーの現在の懸案はただひとえに、豚の排泄物である。2,600頭の豚舎をもつ農家は、一年間に35万6,720ガロンものそれを処理しなければならない。

豚の排泄物には毒性があって、何年に一度か旧式の排泄溝の毒気で死亡者がでる。先端技術では、排泄物を粘土質底の池にたくわえておく。やがて排泄物は分解され、窒素を再び土壌に還元するための堆肥として耕作地に散布されたりもする。粘土質なのは地域の水路への排泄物の漏出を防ぐためであるが、近隣の支持を得るのはまだ難しいようである。池は悪臭を放ち、時に決壊するのである。1995年にローリー・ニュース&オブザーバー紙は、ウェンデル・マーフィーとノースカロライナ養豚の成長、そしてその排泄溝決壊の危険性、と銘打ったセンセーショナルなリポートでピューリッツア賞を受賞した。

そんな話が取りざたされた数ヵ月後、ノースカロライナ州東部の豪雨による側溝の決壊で2,200万ガロンもの堆肥が流出し、川には死んだ魚が浮かんだ。これはマーフィーやその契約農家とは一切関係のないものであったが、ニュース&オブザーバー紙の一連の報告もあって、CBSの報道番組60Minutesを始めとする全国のマスコミの関心と矛先は彼に向いたのである。

「全くフェアではないよ。」「マーフィーのような大物こそ、決してそんなことが起こらないようにしているはずさ。」デューク・エンバイオロメンタルスクールの準学長ジョン・サイモンはこう弁護するが、世間一般のリポーターにそれを言ってほしいものである。

政治家たちの反応はどうだったか。マーフィーは下院議院そして上院議員と、計5期を務めた経歴を持つが、そうした州都ローリーへの太いパイプにもかかわらず、流出事故の影響によってノースカロライナの立法府は2年間にわたって新しい養豚場の開設を禁じ、これがマーフィーの拡大成長を抑えた。しかしそれは彼の当時の操業を規制条項免除したので、おかげで同州における彼の競争相手はいよいよ皆無となった。さらにはたばこの生産がひどくやり玉にあげられている今、政治家も同州で最大の現金収入を産んでいる農作物である養豚を本気で追い込めようという気はなさそうである。

中西部の州は事情が異なる。そこでは例の騒ぎは、マーフィーのような巨大養豚業者から自分たちの非効率で非力な養豚業者を保護するための法案を通過させるかっこうの口実となっている。イリノイの立法府はこの夏環境への懸念を理由として、いつどき巨大養豚業者に操業一時停止を課すべきかとまで検討したが、議場にのぼる以前に猛反発を受けた。

1995年の決壊事故発生以前は、確かに操業内容についての説明不足はあったとマーフィーは認めている。彼は中西部への進出を控えた現在、会社がどういった雇用を創造し、何をどのように操業するのかを説明する代表団を現地へ送っている。

10億ドルビジネスに迫りつつある経営のために、彼は分野外からも優秀な人材を集めつつある。ゼネラル・モーターズから調達管理者、ハーシェイ・フーズから財務主任、そして点火プラグメーカーであるチャンピオンの前社長ジェリー・ゴッドウィンを社長として迎えた。しかしインタビューが長期的計画の話に及ぶと、マーフィーはこうかわす。

「長期的計画の欠如は我々の弱みのひとつかもしれないね。」「しかしこう言えばどうだろうか?1962年当時にはそんなものが助けにもならなかったし、そもそも養豚をやるなんて思いもしなかったんだよ。」

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生後2~10週間の第二段階豚舎のようす。

 

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アニマルファーム

ローテクビジネスで利益を生む唯一の方法は、そこにハイテクを真っ先に導入することだ。自然界の限界を打破するために、ウェンデル・マーフィーは栄養士や技術者のチームを雇っている。彼らは豚にとっての快適温度(雌豚は華氏70度、子豚は華氏90度)から、子豚の離乳と大豆飼料への転換時期ということにいたるまでの研究を行っている。

担当者のひとりであるテリー・コフィーは栄養学の博士号を持ち、かつてはノースカロライナ州立大で新陳代謝と養豚について教鞭をとっていた。「飼料費はコストの65~75%をも占めますので、いかに的確に飼料を与えるかがこの市場での競争力の決め手になります。」と、彼は言う。

コフィーはまた、身がしまって病気に強い豚を作るための繁殖技術を世界中で探し回っている。マーフィーの雌豚は全て、望まれる遺伝子を確実に伝えていくため人工受精によって何らかの改良を施されたものばかりである。

各豚舎に配置されたコンピューターが、温度や換気の状態を監視して調節する。この技術のおかげで、契約農家は3,000頭の豚の飼育に1日2時間程度しか費やす必要がなく、残りの時間を他の農作物のために割くことができる。ここでもすなわち、マーフィーは契約農家に対する支払を抑えて経費削減をはかることができる。

情報システムが、マーフィーがいつどういった飼料を契約農家に送ればよいのかを通知する。このシステムのおかげで、在庫は常に3週間分以下に抑えることができる。彼の農場にあるアメリカ最大の飼料用粉砕機は、一週間に21,000トンの製粉を行っている。

雌の豚舎では、技術者が超音波を用いて豚の妊娠が成功しているかどうか調査する。もし失敗であれば、また直ちに種付け作業へと戻されていく。こうして雌豚が妊娠していない期間を削減することができる。1991年以来マーフィーの雌豚の産出は増加しているが、年20.2頭から22頭というの数字は畜産における大躍進である。

データベースには27万5,000頭にも及ぶ雌豚の種付けのスケジュール、妊娠と出産の回数といったことが記録されている。コフィーはこのデータを利用して、発情してすぐに種付けをさせるべきかどうか、いつ雌豚を解体処理にすべきかなどを決定している。

「データが多ければ多いほど、効率的に大農場を複製しやすいのです。」コフィーはこうも言う、「技術がすべてを支えてくれます。」

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